大学時代、短期間だけバンドを組んでいました。メンバー構成はボーカル、ギター(私)、ベース、ドラムス、シンセサイザーの五人です。
発端は、ボーカルのAちゃんが所属するサークルで、年末恒例のライブに向けて出演者を募っていたこと。バンドはそのライブに出るために結成されました。
過去、軽音楽部にちょろっと在籍していたものの、私は簡単なコードしか弾けません。
対して、他のメンバーは高校時代からゴリゴリ楽器を弾いていたり、音楽好きが高じて自ら楽器を発明したりする生粋の人々です。一回目のスタジオ練習で、私以外のほぼ全員が楽曲をマスターしていました。今回の発起人であり、ボーカル担当であるAちゃんも、歌唱力は抜群です。こちらはFm7の押さえが効かずにあたふたしている始末です。
何回もスタジオ練習が続き、どうにかギターパートもそれっぽく聞こえてきたところで、バンド名を考えようという話になりました。バンドメンバーは全員同じ学科の友達で、専攻は文章創作。ネーミングセンスに対して一家言あるタイプが揃っています。
音楽性の違いではなく言語性の違いで揉めたりしないかな……と思っていたところ、「Yちゃんが決めていいよ」とAちゃんが私を指名しました。
リーダーである彼女が一存して良いところを、私に命名権を譲ってくれるというのです。
なんと器が広い人だろう、私と同い年なのに優しいなあ……と感謝しながら、ちゃっかり美味しいところを頂いてしまいました。
そして誕生したのが「走り廊下渡り隊」です。
当時、一世を風靡していたアイドルグループ「AKB48」のメンバー・渡辺麻友さんが「渡り廊下走り隊」という派生グループに加入したことが話題になっていました。「学校の校則で走ってはいけないと決められている廊下を、走っちゃいたいっ!」というアイドルらしい青さを感じる素敵な名前です。
「走り廊下渡り隊」は彼女たちをリスペクトして付けた、かなりギリギリの名前です。
当日のライブ会場に、出演バンドとして「走り廊下渡り隊」の名前がホワイトマーカーで記されていました。開演前の緊張よりも「通りすがりのファンが見つけて怒り出さないだろうか……」という緊張の方が優っていましたが、何事もなくライブは終了。
一生のうちで、こんなに素早く過ぎた十分間はありません。
その後も定期的に活動を続けようという声もありましたが、諸事情があり、「走り廊下渡り隊」は一回のライブで解散となりました。
解散にはなりましたが、メンバーの何人かとは、今でも交流が続いています。
学生時代をなんとなく過ごし、青春とは無縁の生活を送っていた私を、バンドメンバーに加えてくれたAちゃんには感謝が絶えません。
Aちゃんのおかげで、みんなで協力して一つのものを作り上げる楽しさを知りました。
そして「走り廊下渡り隊」というギリギリの名前を面白がってくれたこと。二十歳そこそこにして、リーダーの風格を感じました。
半年間の活動でしたが、その後何年も語り継ぐ貴重な思い出になり、その経験を元にして小説も書きました。みんなで御茶ノ水へ行きorangeのアンプを買ったこと、弾けなかったギターソロをパワーコードでごまかしたこと、スタジオ待合室の煙草くさい空気、夜の繁華街のきらめき、指先についた血豆の数々……それらは、昨日のことのように回想できる、色あせない思い出です。
Aちゃん、どうもありがとう。

情報管理部 Y.I