ハイタッチ

4~5年ほど前、青森の業務の積算の準備をしていた時のことです。
門倉専務はちょうど沖縄に出張中でした。
一緒に事務を執っている伊藤さんは勉強家で
会社がひけた後英会話の学校に通っていました。

退社時間が近づいた頃、沖縄の専務から積算するので
図面から寸法を出して沖縄に送るように指示が来ました。
伊藤さんは残って手伝ってくれると言ってくれたのですが、
一人で何とかなる(甘かった)と、
英会話の学校に行ってもらいました。

社員が一人二人とタイムカードを押して帰って行き、
とうとう最後に一人になり、気が付けばもう20:00近い。
一人の会社って結構寂しい。図面と睨めっこして、
それらしき数字を沖縄に送りましたが、

「かなりトンチンカンな数字だよ。
もう一回よく考えて計算しなおして!」と専務。

実は私、図面は全く分からない。
眺めれば眺めるほど、小さい頃遊んだ迷路の図に見えてくる。

相当心細くなった頃、伊藤さんから電話が入りました。

「クラス終わりましたが、戻りましょうか?」

天の助けとばかり、
「お願い!そうして!」と戻ってきてもらうことにしました。

相も変わらず図面と睨めっこして
電卓叩いて悪戦苦闘していたら、
今度は臼井課長がひょっこりと出社。

「帰ろうと思って前通ったらまだ電気ついていたから、
誰かと思ったら松山さんか。何してるの?」

この時課長は連日の工事で30時間以上寝ていませんでした。
これこれ、しかじかとお話しして
一分でも早くご自宅に帰って頂こうと思いました。

ところが、課長、おもむろにマーカーを取り出して
図面に印を付け始めました。
内心、図面に詳しい課長のお手伝いは心強い限りですが、
なにぶんにも疲労困憊が目に見えてはっきりと分かりました。

「いま伊藤さんが戻ってきてくれますし、
大丈夫です、二人で何とか頑張ります。」

と言っている先から沖縄の専務から電話が来ました。

「まぁだぁ?」
「たった今課長がお戻りで、伊藤さんも戻ってきます。
もう少しおまち下さい。」と私。

そして専務、

「臼井は今日、相当疲れてるよ、早く返してやってくれ。」

~と言いながら~

「臼井に図面見てもらえ。一番信頼のおける経路が出るから。」

電話を切ると伊藤さんが戻ってきました。
こうして三人になり、次々と図面の経路が明確になり
大きさが着々と出るようになりました。
図面一枚分の寸法が出る度に沖縄の専務に送り、
専務から「OK」の返事が来る。

流れが出来た。
(その間何回も課長に帰って頂こうと言ってはみたのですが、
課長、ただ、頷くだけ。)

この入札、青森県内の施設ごとのあらやる場所の図面で
枚数もかなりある。この調子では電車があるうちに
伊藤さんを家に帰すのが無理だし、我が家には布団敷く場所がない。
そこで西所沢の自宅まで社用車で送って行こうと思い、
秋津に住んでいる友人に八王子からの道を電話で尋ねました。

「今、地図書いてFAXしてあげる。」

と言うことになりました。
その間にも寸法はどんどんと出て、仕事は捗りましたが、
ロケーションがいっぱい有ってなかなか最後の図面まで終わらない。

そこへ、今度は梅田本部長がひょっこりと出社。

「前通ったらまだ電気がついているし、
誰かと思ったら米軍チーム?何でも良いから手伝わせてよ。」

ちょうどその時、秋津の友人からFAX番号の
確認の電話が入りました。その電話を聞いていらした梅田本部長、

「西所沢まで伊藤さん送って家まで戻るんじゃ大変でしょ。
野郎ならうちに泊めてやるけど、
伊藤さんが泊まるところ探してやるよ。」

と参入。ところがこの日、どういう訳か、
どこも予約で一杯のようでなかなか宿泊先が決まらない。
本部長があっちこっちと電話しているうちに、
とうとう日付が変わってしまいました。
(それでもなんとか嫁入り前の
伊藤さんの宿泊先は見つかりました。)

最後の図面の寸法を沖縄の専務に送った時は
もう2:00を過ぎていました。

帰りの車の中では、眠いとか疲れたとかいうより、

『私はこういう仲間と一緒に仕事をしているんだ。』

という充実感がありました。
皆で丁々発止、色々と頑張った結果、受注ができました。
その連絡を受け取った時、隣の伊藤さんとハイタッチしました。
その場に門倉専務も梅田本部長も臼井課長も
いらっしゃいませんでしたが、皆に!!ハイタッチ!!

米軍事業部 係長 Y. M.

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