不動産事業部のMです\(^o^)/
今回は佐渡島の金山の続きで「佐渡奉行所跡」へ行って参りましたのでご紹介いたします。
奉行所は現代で言えば、警察・裁判所・行政機関の機能を兼ね備えた組織のことですが「佐渡奉行所」には下記の役割も与えられていたそうです。「佐渡奉行所」の特徴は、佐渡金山の経営と貨幣の製造も担っていたということです。
特に小判の製造を行う「金座(きんざ)」は江戸、京都、駿河、佐渡の全国4か所のみに置かれたことから、江戸幕府にとって佐渡がいかに重要な場所であったかがわかります。
金山が発見された事で1603年(慶長8年)に佐渡は天領(江戸幕府の直轄地)となり、翌年には相川に「佐渡奉行所」が置かれ1868年(明治元年)に廃止されるまでの約260年にわたり佐渡の行政と鉱山経営の中心を担いました。
現在の「佐渡奉行所」の建物は発掘調査成果と古絵図をもとに2000年(平成12年)に安政年間当時の姿に復元されました。
建物の中は、金銀山の管理と行政を行う役所「御役所」と、金や銀を取り出す工場「勝場(せりば)」、裁判を行う「屋内の御白州」⇒厳冬や悪天候でも裁判が出来るよう他の地域の奉行所とは異なり屋内に設けられた)、奉行の住まい「御陣屋」があって、佐渡特有の奉行所の形態を忠実に復元しています。


当時の佐渡奉行所には102名の代官や奉行が着任していたそうです。
「佐渡奉行所」は相川湾を一望できる段丘の先端に位置しているのですが、
相川の鉱脈が優良であったことや、沢に挟まれた天然の要害という地形、相川の海が一望出来るという立地条件が、物資の輸送や町作りに好都合であったためここを基点にしたそうです。
佐渡奉行所跡は、当時の姿を忠実に復元されていて、当時の建物や設備を見学できました。
幕府の直轄地となったことで、260年に渡り佐渡金銀山と島全体を管理した奉行所の役割を理解することが出来ました。
慶事休暇をいただいたおかげで歴史の1ページを見ることが出来きました(^^)
夜遅くまで帰れず、休みが少なかった前職から、本当に今のエイトに転職出来て幸せです(^^)
時々、こんなに休んでも良いのかな?と罪悪感に駆られる時もあります。。。。。
感謝です☺
不動産事業部 M


