よく聞く諺ですね
ぱっと見た感じ
お節介やありがた迷惑になるから助けてはいけないや
その人の成長(人格)の妨げになるから
などとも捕らえられますよね
しかしこの諺はそういう意味ではなく
人に情けをかければいつか自分にかえってくる
という意味らしい
これだけ見ると、何か見返りを求めて貸しをつくるように
見えますが、私はこう考えます。
例えば
私が若い垢抜けた妊婦さん(以後Aさん)に
電車で席を譲ったとしようAさんは幸せな気持ちになり、
今まで席を譲る事も譲られた事もなかったが、
出産後健康体になってから電車で出来るだけ席を譲るように
心掛けるようになりました。Aさんに席を譲られた人の中に、
席を譲られる事を親切ととらえ、いろんな人にいろんな親切を
しようと心掛けるようになった人(以後Bさん)が居ました。
さて
その頃私は白血病にかかり、ドナーが現れなければ余命半年…
出来るだけ多くの人がドナー登録をしてくれれば、
私の助かる確率は上がります。
そしてある日…
私のドナーが見つかったとの連絡が入り、結果私は助かりました。
そのドナーがBさんに親切にしてもらい
「俺も世の中の為に何かしてぇ!」
と、心改めたチンピラだったとしたら
私は電車で席を譲っただけで命拾いした事になります。
行いとは大なり小なり何かに影響を与えて連鎖し、
その始まりは恐らくこの世の始まりで、終わりは恐らくない…
世のビジネスも自然界の動物も、みんなこの連鎖の中に存在し、
影響し合っている。
だったらみんな[幸せ]にベクトルを向ければ万事解決!!
その為に『情けは人の為ならず』
の最初の一人であり続けたい。

建物総合事業本部 白柳 広賢