じいちゃん

私や家族達は、年末になると母方の田舎へ里帰りする。

「おーう、いらっしゃい。」

そういってじいちゃん(祖父)は
私達家族を笑顔でやさしく迎え入れてくれた。

じいちゃんは現役の時は町工場で働いていて、
溶接をやっていたから金物は何でも作った。

ちり取りから薪をくべて火をおこす「かまど」まで
それこそ何でも作った。
田舎の家には祖父ちゃんが作った
道具が未だに現役で使われているものもある。

20年以上昔の話しだが、父が大きな事故で入院をした。
母も付きっきりで看病をしていたため
その間、じいちゃんが家へきて子供だった兄と私の
面倒を見てくれた。

じいちゃんはそれほど凝った料理は出来ないが、
台所にたち、醤油をつけて焼いた焼きおにぎりなど
素朴な料理を作ってくれた。

ある時は“のびる”を近所の原っぱからとってきて
味噌を添えて食卓に出してくれた。

雑草が食べられる、しかも美味しいというのは
子供ながらに衝撃的だった。

1ヶ月ほどだっただろうか。
短い期間であったが、
その頃の記憶はとても鮮明に覚えている。

じいちゃんの晩年は私を含む大勢の孫達に
囲まれた隠居生活であったが、
なぜあの時もっとたくさん
じいちゃんと話しをしなかったのか。

私はじいちゃんの最後を看取れなかった。
そればかりか亡くなる1年前の
元気なじいちゃんしか知らない。

亡くなる数ヶ月前、体調を崩した
じいちゃんが入院してしばらくした頃母に

「じいちゃんに会っておきなさい」

と言われたが
その時はまさかもう2度と会えないなどとは
思いもよらなかった。
また、年末にいけば笑顔で出迎えてくれると
勝手に思っていた。

今年も年末に母方の田舎へお邪魔した。

だが、いつもの場所にじいちゃんはもういない。

「じいちゃん、ありがとう」

もう伝えられない言葉。
それだけが心残りだ。

情報管理部 主任 北片 剣伍