私は学生の時から電車通学を、
社会人となった今も電車通勤を長年続けている。
普段通勤で愛用させていただいている八高線も
学生の時はディーゼルエンジンの列車であったが、
今では電化して綺麗で立派な電車になった。
ガガガガとうなりをあげるエンジン音が聞えなくなって
快適にはなったが、少し寂しい気持ちになったのを覚えている。
学生の時は、私は朝の通学時に
座席が空いていようものなら、一目散に座席を占領していた。
さすがに優先席にはすわらないという分別はあったが、
それでもその姿を見て周りの人はどう思っただろうか。
あるとき、私は電車の中でひどく気分が悪くなり、思わずその場で
座り込んでしまった。
相当酷い顔色だったのだろう。
見かねて座席に座っていた人が、
「どうぞ」と席を譲ってくれたのである。
私はその時ほど名も知らぬその人に感謝したことはない。
それ以来、私は電車の座席に座るのをやめた。
たとえ目の前の座席が空いたとしても、
座るべき人があらわれるまで座席はあけておくよう努めている。
普段のなにげない通勤、通学の風景の中、電車で座席を譲る。
「ありがとう」
お礼の言葉をいただく。
素晴らしい光景だと思う。座席を譲る方も譲られる方も
とても気をつかう行為だ。
一方、私が実践する「すわらない通勤」には
まったくもって感謝の言葉はいただけないが、
私はそれで良いのではないかと思っている。
情報管理部 主任 北片 剣伍