「3/4世紀&後期高齢者」

今年は節目の誕生日を迎えると感じていた。

特別な事を考えていた訳ではないが単に3/4世紀、
いわゆる75年間と聞いたらかなり長いスパンの年月を連想するでしょう。

現に私が大学に入った年(s32年)構内に
この3/4世紀の文字が矢鱈と目に映った。
それは節目の創立75周年記念の各種行事の看板等であった。

随分歴史のある学校だと感心したのとこの時3/4世紀という表現の仕方に
ひどく興味を抱いた事が記憶に残っています。

 その記憶に残る3/4世紀という日・月・年を重ねた誕生日を自分自身が
迎えたのだから驚きである。そう言えば想い出した、中学の時理科の先生が

「人生僅かに50年、だがウスバカゲロウは孵化してから一日の命。
この一日の間懸命に生き子孫を残す、
君等も一日を無駄にせず懸命に生きなさい。」

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という主旨の説教を幾度となくして呉れていた。それが50年どころか
75年をも生き一体何が出来たと言うのか考えると
真にお恥ずかしい次第であります。

 日華事変(両国共に宣戦布告しなかったため事変と称した由)の年に
生まれた私は凡そ誕生祝いなるものには幼いころから縁は無く、
その事を格段気にも留めずに過ごしていた。

それは一般的に貧しかったからか、或いは年齢の数え方が
現在の生まれた日を基準とした満年齢ではなく
歴を基準にした歴年齢だったからだろうか、
また国家が全体主義の思想を持っていたからかよく分からない。

子供の頃のお祝いといったらお正月や3月の桃の節句と
5月の端午の節句等が思い浮かぶ。

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 所が今年は異変が起こった。「エイトの仲間」から
数多くのお祝いのメッセージが届いたのであります。
使い始めたスマフォンの「LINE」や「PCのフェイスブック」を通じて
愛情溢れる「健康への気遣いや感謝の心」が伝わって来て嬉しくなり、
改めて誕生日の意義を再認識し、これまで支えて呉れた人々を思い出して
感謝の念を抱きました。皆様ありがとうございました。

いただいた其々の人に返信したつもりですが
デジタル音痴で操作下手で届かなかった方がおられるかもしれません。
この人達には紙上を借りてお礼とお詫びを申し上げます。

 また、全体会議の後の「社長と飲む会」に招かれ
美味しい料理やお酒を御馳走になりながら
若い社員や次代を担う内定者と語らい元気を貰いました。
有意義な時間を過ごさせて頂き改めて感謝申し上げます。
ありがとうございました。

 もうひとつ変わった事といえば、誕生日を境に行政上は
後期高齢者なる枠に入れられ健康保険が一般的な社会保険や
国民健康保険から離され別枠で
「後期高齢者医療保険」に加入させられた事であります。
行政上は止む追えぬ線引きであると理解するが、これまた思い出しました。

それは以前訪れた山形県米沢の
「旧米沢工業専門学校:現山形大学工学部」の構内に建立されていた
「詩碑」に書かれていた原作サミエル・ウルマン、
邦訳岡田 義夫「青春」の詩です。

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「青春とは人生のある期間を言うのではなく、
心の様相を言うのだ。・・・・・・・・」

もう一度この詩を読んでこれからの人生を歩んで行きたいと思っています。
 皆様どうぞよろしくお願いいたします。
http://www.kotaro269.com/archives/51157307.html

参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)