秋も深まる11月下旬。京都府北部、丹後半島の伊根町を訪れました。
この地には何度も足を運んでいるのですが、晩秋の伊根湾の風景は、また格別です。

今回の旅の目的は、ズバリ、「伊根に残る徐福(じょふく)の足跡を探る!」。
……まあ、そんな大層なものではなく、伊根には、弥生時代に大陸からやって来た「徐福」なる人物を祀る神社があるということで、参拝したのです。
徐福をご存じない方もいらっしゃるでしょう。かの秦の始皇帝に仕えた方士(神仙を目指し修行する人)で、始皇帝の命により、長生不老の霊薬を求め、はるか東方の海に浮かぶ三神山へ向かって船出した……、とされる人物です。
秦から東方へ船を進めたのですから、日本列島にぶつかってもおかしくありません。いや、ぶつかったハズだ、ということで「徐福渡来の地」とされる場所が列島各地に存在します。
その一つが、伊根町。
地域の観光拠点「道の駅舟屋の里伊根」から、丹後半島のリアス式海岸に沿うような、曲がりくねった細道を走ること10分(当日、私はバイクでした)。小さな岬の一角に、その地はあります。それが、「新井崎神社」。御祭神はもちろん徐福さんです。

断崖絶壁というわけではないものの、それなりに切り立った崖の上にあるその境内は、人の気配が一切なく、なんとも神さびた良い雰囲気。境内から海の方向へ斜面を下ると、湾に突き出した展望台のようなスペースがあります。そこが、「徐福渡来の地」。
深い青色の海原から、黒い火成岩の岩肌に打ち付ける白い波を見ていると、はるかな昔、本当に徐福がやって来たのだと信じてしまいそうになりますね。

さて、渡来の地のそばには、「経文岩」という、洞窟状の横穴が開いた大きな岩があります。この岩穴に伊根の里人がお経を唱えて徐福をかくまったことから、経文岩と呼ばれているとか……。

徐福が来たのは秦の始皇帝の時代、つまり、紀元前3世紀後半。そのころ仏教は、日本はおろか、中国にも伝来していません。
ただ、これを取るに足らない、いい加減な伝承と断じるわけにはいかないでしょう。
大陸や半島では、仏教が弾圧された時代もありましたから、法難を逃れ、異国の僧が丹後半島に流れ着くこともあったはず。徐福の時代より、はるか後代のことと思われますが、そんな渡来僧に関する言い伝えが、徐福伝説と混ざり合って、経文岩の伝承となったのかもしれません。
そんなことをつらつら考えさせてくれた、伊根の岬と徐福さんに感謝です。
建物総合事業部・大阪支店 志方 正紀