標高115mの厳しい? 山越え

徒歩で行ける「万葉歌碑を巡る旅」ということで、今回は大阪府豊中市の「豊中不動尊」を訪問しました。正式には「紫苑山豊中不動寺」と称するこの寺院、大阪北部に広がる千里丘陵の最高峰「島熊山」の麓に鎮座します。

こう書くと、山深いところにあると思われるかもしれませんが、島熊山の標高は115.7m。周囲は宅地開発が存分になされており、ちょっと見ただけでは、どこに山があるのかさえ分かりません。まあ、緑豊かな住宅街の一画に立地すると思っていただければ間違いないでしょう。

境内には、「玉かつま島熊山の夕暮れにひとりか君が山道(やまじ)超ゆらむ」という万葉歌碑が立てられています。

詠み人知らずのこの歌は、大阪「難波宮」が都だった時代の古歌で、島熊山を超えて丹波方面へ旅する夫の身を案じ、その妻が詠んだと言われています。

もっとも、先述したように、島熊山の標高は115mほど。道路整備が不十分だった古代とはいえ、越えるのにさほど難渋しないと思われます。妻の心配は、いささか大げさではないか……。

そこで、当時の交通事情を考えてみましょう。難波宮のある上町台地から北、島熊山のある千里丘陵の南、要するに今の大阪市の大半は、河内湖と呼ばれる汽水湖の下か、芦原広がる湿地帯でした。都から丹波方面へ向かうには、湿地帯を縦横無尽に走る淀川の支流を船で移動し、千里丘陵の南端で下船。そこから陸路で北上し、日本海側を目指すことになります。その間は、基本的に山ばかり。中国山地の東端と言ってもいいエリアですから、かなりの峻険さです。

すなわち、「島熊山の山道を超ゆ」とは、これから始まる厳しい山越えの旅のとば口に立ったことを意味しており、妻の心配も当然のことというわけです。

豊中不動尊の東に、わずかではありますが、こんもりとした緑地が広がっています。

かつての島熊山の名残であり、土地の方が保存されたものだそうです。宅地開発は重要ですが、少しでも、往時の面影を残してくれた地域の方々に感謝です。

建物総合事業本部 志方 正紀