大鳥居に圧倒&補陀洛渡海舟にしみじみ

少し前の話ですが、紀伊半島へ一泊二日のバイク旅行へ出かけました。

旅のテーマは、「ずっと行こうと思っていたけど行けなかった場所を訪問する」こと。

紀伊半島へは毎年必ず1、2回出かけており、何度訪れたか不明なほど。それでもなお、旅程の都合等々で、立ち寄れなかった場所はあるものです。

で、今回訪れたのが、「熊野本宮大社」の「大斎原」(和歌山県田辺市)。

全国にあまたある熊野神社の総本山、熊野本宮大社は、明治22年(1889年)に起きた大水害が原因で、熊野川の中州から、小高い丘の上にある現在の場所に遷座しました。

水害以前の旧社殿が鎮座していた場所を、「大斎原」といい、現在の社殿から南へ500メートルほど下った場所にあります。本宮前の駐車場からは、10分ほど歩かねばならず、今まで敬遠していましたが、今回、思い切ってお参りした次第。

熊野川方向へ坂を下ると、広い田畑の真ん中に、巨大な鳥居がそびえ立っています。

高さ約34m、幅約42mといいますから、なかなかの迫力。荘厳な気分に浸りつつ、柏手を打ちました。

次に訪問したのが同県那智勝浦町の「補陀洛山寺」。

「補陀落渡海」で知られる同寺。観音菩薩の浄土である補陀落山への往生を願い、海上へ船出する……。同寺の多くの僧侶が、南に広がる海岸から熊野灘へ漕ぎ出し、浄土を目指して旅立っていったといいます。

若い頃に補陀落渡海をテーマにした小説を読んで以来、ずっとお参りしたかったのですが、近くを通る国道42号は、ほどよい勾配と大小のカーブが連続する楽しい道。ついつい走ることに夢中になって、通り過ぎてしまうことがたびたび……(苦笑)。

さほど広くない境内は、観光地然とした雰囲気はなく、浄土への旅路に使用された「補陀洛渡海舟」の模型が、ぽつりと展示されていました。

大海原に消えていった「渡海上人」の心中を思うと、尊崇の念を抱くとともに、境内の雰囲気とあいまって、はかなさ、もの悲しさを感じます。

いずれにせよ、初めて訪れる場所や施設というものは、さまざまな感情を呼び起こし、心にみずみずしさを与えてくれます。お祀りされている神様や仏様はもちろんのこと、それらを取り巻く環境や歴史、すべての事象に感謝しつつ、帰路につきました。

建物総合事業本部 大阪支店 志方 正紀