「小諸城址懐古園」

こんにちは!不動産事業部のMです。

今回は長野県小諸市にあります「小諸城址懐古園」へ行ってまいりました。

小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する

小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が始まりと云われています。

また、めまぐるしく城主が変わった城でもあります。

城主を大雑把に列挙しますと・・・・・

⇒小室氏(南北朝時代に衰退。)

⇒大井氏(戦国時代に大井宗家は滅亡。)

⇒大井家の一部(小諸に逃れ鍋蓋城等を築城するも武田信玄の侵攻で城は陥落。)

⇒武田氏(重臣の山本勘助と馬場信房に命じ城郭を整備し小諸城の原型となる。)

 武田氏の滅亡後は、

⇒織田

⇒徳川と支配が移り、

⇒仙石秀久(豊臣秀吉が天下統一、小田原攻めの軍功により仙石氏が小諸城へ。城の大改修と城下町の整備、堅固な城とした。仙石氏はのちに上田城へ。)

⇒徳川忠長(徳川家光の弟の忠長が領有、城代が置かれた。)

⇒その後も城主が変わるが重要な領地のため歴代藩主には徳川譜代等が配された。

⇒牧野康重(版籍奉還まで約170年間、10代にわたり居城。)

⇒1872年の廃藩置県で小諸城は役割を終える。

⇒その後、小諸藩旧士族へ払下げ、本丸跡に「懐古神社」を祀り、「懐古園」と名付けられた。

⇒1926年、造園の権威である本多静六の設計で近代的な公園に。

⇒現在に至る。

城主とともに激動の時代を駆け抜けてきた小諸城です。

城の土台や石垣は残っていますが、城の全型が残っていないのがとても残念なことです。

昔は城があって、武将達が行き来していたのでしょう。今は新緑まぶしい庭園です。

城内を散策して、まさに「平家物語」の祇園精舎だなと感じました。

「諸行無常」、「盛者必衰」とは、仏教の教えですが、

どんなに栄華を極めたとしても必ず終わりがくる、この世の無常を説いた言葉です。

激動の戦国時代、主要な城だった小諸城も時代とともに役割が変わりました。

この世は諸行無常です、だからこそ、一瞬一瞬を大事に生きていく、

今、身近にある当たり前に存在するもの、その全てはかけがえのないもので、

日々感謝の気持ちを持って過ごそうと思いを巡らせ、小諸城をあとにしました。

不動産事業部 M.Y