「2004年(平成16年)2月22日 午前3時」
父親が他界しました。今の時代、62歳という年齢は若すぎると・・・。
2月でまだ寒さが厳しく、快晴で空気は冷え込んでいる分、とてもきれいな青空でした。
それは突然でした。
2003年の8月に家族でカラオケへ行った際、いつもなら大好きなお酒を呑みながら、家族の歌を聴き自身も石原裕次郎などを歌うのですが、お酒もさほどすすまず、顔を時折ゆがめて額には脂汗。背中とお腹に激痛があると、早々に帰宅しました。
病院で検査していただくと「肺がんでステージ4」・・・。ことばがありませんでした。
すぐに手術をしていただきましたが、播種がみられすぐに胸部は閉じられました。
放射線治療も効果は期待出来ませんでした。
本人の希望で年末年始だけ外出許可がおりて自宅で過ごすことが出来ましたが、やはり辛そうですぐに病院へ救急搬送。その際、家で最期を望んでいた父だったと思いますが、家族は「看取り」ではなく延命を希望、諦めたくはなかったのだと・・・。
この世を去って早いもので17年。親業など悩み事でお墓参りの時期以外にも意見を聞きに
たまに足を運びます。
最近は「墓参り代行サービス」なるものもあるようですが、生前父は「忙しくて墓参りに
行けないときは、亡くなったひとを想うことが大切」と。
お墓参りは、日常生活を立ち止まって考え、健康や家族への感謝の意識を再確認できる場所です。

米軍・海外事業部 染谷 一男