佐渡島の金山

不動産事業部のMです\(^o^)/
先日、日本の世界遺産に行ってきました!
日本の世界遺産は合計26件あり、内訳は「文化遺産21件」と「自然遺産5件」です。
最新の登録物件は2024年に文化遺産に追加された「佐渡島の金山」です。
「佐渡島の金山」は「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」の2つのエリアの鉱山で構成されます。この度は「相川エリア」に行ってきました。
日本海に浮かぶ島「佐渡」は面積が855Km(東京23区の約1.4倍)で沖縄本島に次いで日本で2番目に大きな島です。
佐渡は、江戸時代よりも前、古くは平安時代から金や銀が取れる島として知られていました。
1601年(慶長6年)、徳川家康が佐渡島を直轄地として全島を支配下に置き、江戸時代に相川金銀山が本格的に開発されました。
同じ頃、世界の他の地域は金の採鉱・製錬技術の機械化が進んでいきますが、
日本は鎖国政策によって海外からの技術や知識の流入が制限されていました。
徳川幕府により手工業の効率化のため、管理体制と労働体制が構築され高度な手工業による採鉱・製錬技術は250年以上にわたり継続される事となります。
それにより世界有数の金鉱山として高品質の金を大量に生産し、
その金銀は国の財源として利用され幕府の財政を支えました。
これら鉱山技術や生産システムの変遷を示す坑道跡や採掘施設、製錬施設などが現在でも点在しており、その殆どが国の重要文化財、史跡、近代産業遺産に指定され、鉱山町の景観も史跡に含まれています。
① 相川金銀山の「道遊の割戸」
佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡で佐渡金山の中でも特に印象的な景観の一つです。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿になっており山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達します。道遊脈と呼ばれる脈幅約10mの優良鉱脈を有しており、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。
② 「北沢浮遊選鉱場」
近代遺産の象徴「東洋一の浮遊選鉱場」で「佐渡のラピュタ」といわれる「北沢浮遊選鉱場」があります。相川の北沢地区には発電所やシックナー(沈降濃縮装置)など鉱山の近代化に貢献した施設群(国の史跡)が密集。もとは銅の製造過程で行われていた技術の浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し日本で初めて実用化に成功。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一」とうたわれました。
※浮遊選鉱場⇒浮遊選鉱法という技術で鉱石から有用な鉱物を回収する施設のこと
江戸時代に世界最大級の金の生産地として栄えた佐渡金銀山は、その後も長期にわたり採掘が続けられていましたが、1989年に資源枯渇のため操業を休止しました。
相川金銀山(相川エリア)の金鉱脈は、東西3000m、南北600m、深さ800m、江戸時代から産出した金78トン、銀2330トンにぼり、まさに日本最大の金銀山でした。開削された坑道の総延長は約400Km(佐渡~東京間)にも達しています。
佐渡金山の価値は、高度な手作業による金生産技術とその生産体制ということがわかりました。
また、その遺跡は現在でも良好な状態で残されていました。
他には類を見ない大規模な金生産技術の遺構、鉱山集落跡を見ることができました。
佐渡はトキの島と思っていましたが、トキだけではなく、良質な金銀が取れていたこと、高度な技術があった事には本当に驚きました。
今回、おかげさまで慶事休暇をいただき、とても充実したお休みとなりました(^^)

不動産事業本部 M.Y