学生時代の教科書

長年本棚に眠っている学生時代の教科書を眺める。
この教科書たちは 現在の私の生活の礎でもある。

学生時代は、土木工学科に所属しており ゼミは水工ゼミを専攻しておりました。
水を利用するため、また 水による災害から被害を守るための様々な技術を学ぶというもので、河川・海洋・港湾等に関する事項を学び、また実験により事象の確認を行うというものでした。
丁度、関西国際空港 建設の話もあった時期で、ゼミから建設予定場所付近の潮流の確認のため小舟に乗って何やら測定器具を海に沈め (寒い時期だったので下船した後の飲み会を行ったせいか、測定についての記憶があまりありません) データーをとりまとめ 大学に提出させられたことがありました。
卒論については、あるコンサルタント会社に派遣され「和歌山の降雨・利水に関する報告」というもので、日々コンサルタント会社に出社しデーターのまとめ、ある時には紀伊半島内の貯水ダムに出向き 状況の確認や、写真撮影を行い報告書にまとめるというもので、ほとんどコンサルタント会社の受注した案件のお手伝いをさせられていた感が残るものでした。

卒業し就職した先では、設計課に配属され 主に水道工事メインの設計を担当させていただいており、埋設管(一番大きいものは口径φ3200でした)、水管橋、埋設配管、ダム湖内配管、傾斜配管等の構造計算書、図面の作図(当時は手書き)に従事しておりました。
 その際にも、学生時代の「水理工学」「水理学演習」「コンクリート工学」は会社に常備し、考え方に不安がある場合は教科書を眺めては確認し、設計業務をこなしていたものです。
 その後、厚板機械加工、組み立て技術を1年経て、建築の仕事に従事するようになるまでの8年間は自席の引き出しの中に常に存在していた 教科書たちです。

 現在の自分の技術的・数学的な思考の源を築いてくれた教科書です。
 高校時代は、「物理」は少々難解に感じておりましたが、大学で学ぶ「物理」はするすると理解できるものでした。大学での単位を取る際 「そう言う 仕組みになっとるんヤ!」と物理の授業をないがしろにする高校時代の教師を見返す意味でも、教職課程を取ろうと考えた私に、「お前、教師になりたいんか?」と父親に尋ねられ、考え直したこともあります。
 様々な理論・方程式は数式で解明できるものであり、
 私に「生き方は +(足し算)、―(引き算)、×(掛け算)、÷(割り算)の算数でなりたっとんや!」
との偏った考え方も一時与えたものでした。

その後は、教科書たちは自宅に戻り 本棚の最上段中央に鎮座させられ、また開かれることを心待ちにしていたことと思います。しかし、現在もまた以降も開かれる機会が訪れることはないかと考えます。

今までいろいろな知識を与えてくれた 教科書ですが、お別れです!

ありがとうございました。

建物総合事業本部 大阪支店 田中 裕士